喪失・苦しみ・不安と向き合った日々|過去を肯定するということ

🔍心と人生観

こんばんは。さちです。
今回は過去の自分を振り返って、ありのままを綴っていきたいと思います。

叔母を失った時の自分へ

まだ朝早い時間。
いつものようにお手伝いに行くためにご飯を食べて準備をしていました。
そこに私の両親と、仲良くしている従業員の方が来て、「今日はお休み」と。
いつも通りの朝に、いつも通りでない動揺した大人たち
私も何事かと不安を隠せずにいましたが、その日は学校もあり、状況を受け止められないまま登校しました。

帰ってきて伝えられたのは叔母の死でした。
本人確認に時間がかかり、お通夜とお葬式は数日後に行うということでした。

人が死んだら悲しくなって泣けるものだと思っていたのに、状況が飲み込めず涙も出ない。
「私は薄情な人間なのか」とも思いました。

お通夜の日——
通夜振る舞いを食べていると、なぜか急に涙があふれてきました。
祖母に指摘されるまで、自分でも泣いていることに気づきませんでした。
涙を見せたくなくて止めようと思っても、嗚咽と共にあふれていく涙。
家に帰りたくてたまらなかった。

翌日のお葬式のとき、従姉妹から「なんで泣いたの?」と聞かれましたが、自分でも理由がわかりませんでした。
自分の母を失って悲しんでいる従兄弟の前で、私のほうが感情をあらわにしてしまったことに申し訳なさが込み上げてきました。

そんな自分に伝えたいこと。
悲しみから逃げようとしないでほしい。言語化する努力をしてみてほしい。
その感情は間違ってないし、自然なものだから。
否定しないで、自分を責めないで。
悲しみは薄らいでも消えはしない。
でも、誰かと共有したときに新しい関係が生まれることもあるから。
そこにはきっと素晴らしい意味があるから。

過食嘔吐をやめられなかった自分へ

高校2年生のとき。
ストレスの対処法が分からなくて、過食嘔吐が日常になっていました。
お腹いっぱいに食べて、全て吐き出す。
ストレスも一緒に吐き出せている感覚になって、やめられなくなっていました。

でもその対処法は一過性のもので、少し時間が経てばまたストレスに向き合うことになります。
終わりのない、本当に負の循環でした。
頭でわかっていても、衝動に勝てない自分の弱さ。
そんな自分をさらに責めていました。

繰り返される嘔吐の中で出血するようになり、不安と恐怖心を感じたのを今でも覚えています。
それでもやめられない。自己嫌悪が強まる一方でした。

結局、家族に見つかってしまい、「そんなことはやめろ」と忠告されました。
残念なことに「痩せたくて吐いている」と受け取られてしまい、私の心の不健全さには気づいてもらえませんでした。
でもそのとき、自分では言えなかったものが、ようやく外に漏れ出たように感じたのです。
大切に思われていることが痛いほど伝わってきました。
ほっとする感覚が「もうやめよう」と強く決心させてくれたのです。

あの頃の自分へ。
不健全と分かっていてもやめられなかったのは弱さというより、”否定したい気持ちをどうにか形にして保とうとしていた”からだと思う。
吐くという行為で否定する事実をつくれば、
それ以外の私——本来の私だけは守れるような気がしていた。
家族に見つかったとき、”否定の部分”だけじゃなく、
その外側にいる”私”も大切にされているように感じた。
だからこそやめようと決心できたのだと思う。

過食嘔吐していた事実に縛られる必要はない。
大事なのはやめようと決心できたこと
あの一歩は確かに成長だった。あの頃の自分を否定しないでほしい。

素直になれなかった自分へ

引っ越しをする数日前。
一番仲の良かった親友に、理由と共に引っ越すことを伝えました。
内容が重たいこともあって、ずっと言えずにいたことでした。
私はわざとおどけてみせて、傷ついた気持ちを隠そうと必死でした。
作り笑いと自虐的な言葉がかえって不自然で、彼女のまっすぐな目が痛く刺さりました

私の家は学校から近く、彼女と歩く時間はほんの10分程度。
家についてから、なぜあんな伝え方しかできなかったのかとひどく悩みました。
彼女なら受け止めてくれたはずなのに。
可哀想な子と思われるのが怖い——その思いが言葉を歪めて、彼女を信じきれなかった。

もしあの時、本当の気持ちを言語化して、おどけずに伝えられていたら、
彼女はなんて言ってくれただろう。
そんなことを今でも考えてしまいます。

だけど今なら分かります。

素直になれなかったのは、声に出した瞬間に泣いてしまいそうだったから。
まだ幼くて、共有することで痛みが和らぐことを知らなかっただけ。

彼女とは今でも仲良くさせてもらっています。
あの時のことを覚えているかは分からないけれど、
次に会ったときは、素直に、自分の言葉で接していきたい
そう強く思います。

結びに

これまでを振り返って思うのは、どの自分も未熟で、不器用で、必死で、
それでいて確かに”生きていた”と思います。
どんな自分も否定せず、肯定しようと努力している今の私は、少しだけ成長を感じます。

少しでも自分を好きになれたら――
それだけで、きっと幸せだと思います。

では、次の投稿で。

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