こんばんは。さちです。
今回は「孤独」という言葉を、少し違う角度から捉え直した経験を共有したいと思います。
誰にも会いたくないときがある
ふと、誰にも会いたくないと感じることがあります。
ひとりになりたいと思う瞬間があります。
以前の私は「人と合わないこと=孤独」と結びつけて考え、
意識的に”独り”を避け、人との関わりに執着していました。
そのため、独りになると孤独を感じ、それが悪いことだとさえ思っていました。
そして「誰にも会いたくない」という感情も、自分が寂しい人間である証のように思えて、否定していました。
孤独の定義が変わった瞬間
しかし今は、週に1度だけ、誰とも予定を合わせない日を設けています。
それは、私自身の中で「孤独」の定義が変わったからです。
大学に入学して間もない頃です。
友達も家族もいない。バイトも課題もない。
そんな”空白の一日”がありました。
何かをしていないと不安で、人とのつながりを確かめるように、卒業アルバムと手紙を取り出しました。
剣道部の先輩からもらった手紙を読み、アルバムの部活動のページを開きました。
そこには、黙想をしている自分の姿がありました。思いつくまま正座をして手を組み、深呼吸をし、黙想を始めました。
「私は何がしたい?どうなりたい?」
そう自問したあと、何も考えずにただ呼吸を続けました。
目を開けたとき、不安感は静かに消えていて、そこには確かに”ひとりの私”がいました。
けれど、不思議と寂しさは感じませんでした。
選択する孤独
それからの私は、ノートに自分の感情や気に入った言葉を綴るようになりました。そこには誰にも打ち明けたことのない思いが並び、まっさら自分がいました。
深く呼吸をして、何も考えない。
ただそれだけの時間が、自己を理解する鍵となり、
私という輪郭を少しずつ形づくっていきました。
ひとりでいることは、寂しさではなく、自分の時間を大切にすることだと気づいたのもこの頃です。
そして”ひとりになること”が、私にとってひとつの選択になりました。
孤独は拒むものではなく、ともに生きるもの
私は、あえて”ひとりになること”をも孤独と呼びます。
そうすることで、孤独は拒絶すべきものではないと理解できるからです。
もし孤独を拒むものだとすると、決して拒みきれない存在と戦い続けることになります。
人間関係、SNS、社会。
そうしたものを排除しない限り、孤独も排除できません。
本当の意味で宇宙にたったひとりにならない限り、孤独を消すことはできないのです。
そんな世界に希望はありません。
だから私は、孤独に二つの種類を設けます。
陥ってしまう孤独と、自ら選択する孤独。
孤独を選択の一つとして位置付けることで、それは”ともに生きるもの”へと変わっていきます。
結びに
私は孤独を克服するために、孤独になるのです。
では、また次の投稿で。


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