立ち止まる時間がくれたもの——焦りの中で見えた静けさ

🔍心と人生観

こんばんは。さちです。

今回は「立ち止まる時間の大切さ」について考えていきたいと思います。

私は現在、大学3年生として就活卒論の両立に励んでいます。

就活は初めての経験で、先の見えない不安を常に抱えています。
今は”売り手市場”と言われていますが、同年代の友人が早期選考に進んでいるのを見ると、どうしても焦りが生まれてしまいます。

卒論は自分なりの論拠を立てる必要があります。
研究者たちの論文や学説を調べ、自分の仮説が既存の研究と重なっていれば、そこに新たな視点を加えなければなりません。
とにかく時間のかかる作業です。

そうした日々に追われていると、何もしていない時間が”怠惰”のように感じられ、不安が一層強まっていきます。

そんなある日、実家から電話がかかってきました。
「手伝ってほしい事があるから、帰ってきてくれない?」という要件でした。
正直、忙しい。でも家族が頼ってくれている。
私は家に帰ることに決めました。

家に着くと早速パソコン仕事を頼まれました。やり慣れたことだったので早く終わり、思いがけず暇な時間ができました。
手伝いに集中するために、就活ノートも卒論用の本も持ってきていなかった私は、ふと「何をしよう」と手持ち無沙汰になりました。

そして、家のオーディオルームへ行き、音楽に没頭しました。
私の好きなショパン、モーツァルト、ベートーヴェン、ラフマニノフのプレイリスト。
ソファに沈み込み、目を閉じてただ聴く。
技巧的なピアノ、透明なバイオリン、丸く温かみのあるクラリネット。
一音一音に耳を傾け、音の流れを味わいました

呼吸が深くなり、ふと天井を見上げました。
そしてレコードラック、スピーカー、自分の手。
何も変わらない、静かな空間
けれどその静けさの中で、思考が澄みわたり
”やらなければならないこと”が整理されていく感覚を得ました。

現代は情報社会。
あらゆるものの変化がとにかく早く、「置いていかれたくない」という焦りが生まれやすい時代です。
けれど、変わらずそこにあるものも、確かに存在します。

焦っているときの自分は、他人や社会のペースに合わせてしまっている
そんな気づきがありました。

立ち止まり、呼吸を整え、今の自分の中にあるものを見つめ直す時間。
それは、自分のペースを取り戻すための時間なのだと思います。

現代では、多くのものに”価値”が決められているように感じます。
「より多くの仕事をこなす人が偉い」
「高収入の男性のほうが結婚に価値がある」
「アサイーボウルはおしゃれ」

そうした価値観をいったん疑ってみる。
そのとき、自分が本当に大切にしているものの輪郭が少しずつはっきりしてくる気がします。

”やらなければならないこと”や”正解”に追われていると、大切なものほど見失ってしまう。

でも、実は本当にやるべきことはそれほど多くはないのかもしれません。

立ち止まる時間とは、そういった意味でとても重要な時間だと思います。

目を閉じ、呼吸を整え、自分の声にそっと耳を傾けてみてください。
きっと、静かなところから答えが返ってくると思います。

では、次の投稿で。

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